2006-09-22 [長年日記]
λ. 国歌斉唱強制は違憲・東京地裁判決
なんか納得のいかん判決だなぁ。すっきりしない。 まあ、たぶん高裁でひっくりかえるんじゃないかとは思うが。
まず、式典を適正に行うことは教師の職務の一環であり、そのために教育委員会が通達や指導を行うのも通常のことのはずです。そして、学習指導要領を前提とすれば、「入学式や卒業式などにおいては、その意義を踏まえ、国旗を掲揚するとともに、国歌を斉唱するよう指導するものとする」とある以上、国旗掲揚と国歌斉唱が適正であることも明らかです。で、もし教師が自らは起立や斉唱を行わないとしたら、その教師の「指導」が説得力を持つとは思えませんから、そのために都教育委が通達や指導を行うのは裁量の範囲でしょう。
一方、地方公務員法第32条には「職員は、その職務を遂行するに当つて、法令、条例、地方公共団体の規則及び地方公共団体の機関の定める規程に従い、且つ、上司の職務上の命令に忠実に従わなければならない」と規定されているわけで、規定や通達に反し職務を放棄するのであれば、処罰の対象になっても仕方がないでしょう。もちろん、犯罪を行わされるとかなら話は別だけど、そういう話ではないしね。
現在の学習指導要領を否定するならともかく、単に大綱的な基準であるからといって、そこから思想良心の自由を職務放棄の免罪符にするのは個人的にはちと無理があるように思えます。実際、通達以前の同種の訴訟の多くでは教諭側が敗訴していると聞いていますし。
それはそうと、国旗・国歌は国家の象徴なわけで、それらに最低限の敬意を払うことの出来ないような人が、何故公僕として公教育に従事することを選んでいるのかがそもそも不思議です(本人にとってそれは矛盾ではないの?)。日本には職業選択の自由があり、自らの思想・良心を絶対に曲げたくないのであれば、信念に矛盾しない職業を選ぶべきでしょう。例えば、暴力を無条件に悪とする信念を持つ人は自衛官にはなるべきではないでしょうし。
ところで、判決はこの通達及びそれに基づく指導を教育基本法第10条の「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである」における「不当な支配」にあたるとしているわけですが、同じ条文中の「国民全体に対する直接の責任」についてはどう考えるべきなのでしょうか。第九二回帝国議会衆議院教育基本法案委員会議第一回(1947-03-14)の中で、永井勝次郎委員の質問に対する辻田力文部事務官の答弁には以下のようにあるそうです。
次の「国民全体に対して直接に責任を負って行われるべきものでる」と申しますのは、さればとて、教育者が単なる独善に陥って、勝手なことをしていいということではないのでありまして、教育者自身が国民全体に対して直接に責任を負っておるという自覚のもとに、教育は実施されなければならぬということを徹底いたしますために、まず、教育行政上において教育自体のあるべき姿をうたったわけであります。
で、えーっと、件の方々の行動は正直「国民全体に対する責任」を負っているようにはあまり見えないわけですが……
……と、釣られてみたクマ──!!
しかしまあ、20050331#p03でも書いたが、こんな事で揉めてるのは本当に阿呆らしいよな。
「国旗及び国歌に関する法律」が制定されたのがごく最近なので、それに不服な教職員がいるのは無理からぬことではないでしょうか。
それはそうなのですが、「国旗及び国歌に関する法律」が制定される以前から、日本政府は日章旗と君が代を実質的に国旗・国歌として用いてきたわけですよね。<br>日章旗や君が代に反感を感じる教員は、自らがそのような政府の公的機関に属することに対して、矛盾や葛藤を感じたりはしなかったのか? というのが私の疑問です。<br>法制化さえされていなければ気にならないという人ばかりではないでしょうし。