2002-02-19 [長年日記]
λ. 麻雀
今日もほぼ同じメンバーで麻雀。某先生がマージャンゲーム作成を面白がっていたのがわかる気がする。
λ. "Conceptual Mathematics: A First Introduction to Categories" を注文
悩んでいても仕方がないので、とりあえず Conceptual Mathematics: A First Introduction to Categories の方をskysoftで注文。これなら一人で読めそうらしいので。
λ. 高田崇司「公理的集合論による実数論展開」(Takashi Takada, Real Numbers in an Axiomatic Set Theory)
こういうの良いなぁ。
(from 科学哲学ニューズレター No.38 本年度の卒業論文・修士論文特集 from 黒木のなんでも掲示板)
λ. 経済政策は署名運動か?
日経新聞朝刊に「大機小機」というコラム欄があるのだが、そこに「経済政策は署名運動か?」という奇妙なコラムが載っている。インフレターゲッティングを署名運動になぞらえて批判しているが、この批判はむしろ構造改革路線にこそピタリと当てはまる気がするのだ。(皮肉なことに?)
そこで、以下のようなパロディはどうだろう?
平和を実現するためにどうすべきか——。現在においても、この問いへの確実な答えがあるわけではない。しかし、その難題に立ち向かうためには、バランス・オブ・パワーという痛々しい現実を直視する必要がある。好むと好まざるとに関わらず、軍事に精通して戦略を練らなければならない。
戦略の現場においては、「どうあるべきか」という理想像ではなく、「何ができるか」という等身大の実行力が問われる。美しいおとぎ話は足下の国防整備をいたずらに遅滞させて、無益どころか害悪をもたらす場合すらある。
こうしたむき出しの現実論の大局にあるのが平和主義者だ。「平和になる」という願いこそが重要。その志は崇高だ。主流の武器は「戦争反対」という署名運動。確かに世界のすべての人々が平和主義者になれば戦争はなくなるかもしれない。
しかし、歴史は平和主義者の願いを裏切ってきた。平和を切望する欧州諸国の融和政策がナチスの台頭を許したように、祈りだけでは戦争はなくせない。署名運動は啓もう活動としては悪くないが、武器としては威力に欠ける。それが我々の目前にある現実である。
とはいえいつの世にも現実を直視しない人々は多い。例えば我が国の経済学界だ。構造改革主義者がばっこし、それに反論しようものなら「抵抗勢力」といわれる。
そこでその経済学者たちに、構造改革がどうして景気回復につながるのかを聞いてみると、答えられない。軍事戦略なき平和主義者たちのようだ。「どんな手段をつかってもやるしかない」という決意のみが聞こえてくる。
これでは「祈ればかなう」という念力主義でしかない。構造改革でサプライ・サイドが効率化すると需要も増えるそうだ(一体どうして?)。署名運動と大差あるまい。願いは真摯(しんし)でも政策として有効か否かは別問題だろう。
学者であれば自説を説明するのに、きちんと経済学に基づいた理論展開をすべきだ。「構造改革なくして景気回復無し」の根拠を説明してみるがよい。構造改革が目下の問題を悪化させるだけなのをなぜ直視しないのか。日本に関しては不況の原因が本当に構造問題なのか問い直すべきである。
理想像と違うからといって現実から目を背けてはならない。目を背ければ新たなナチスの台頭を許すだけであろう。