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容赦なき戦争 (平凡社ライブラリー) 単行本 – 2001/12/10
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- 本の長さ544ページ
- 言語日本語
- 出版社平凡社
- 発売日2001/12/10
- ISBN-104582764193
- ISBN-13978-4582764192
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商品の説明
商品説明
「ユダヤ人の大量虐殺を別とすれば、人種主義は、第2次世界大戦を語る場合に主題として取り上げられることはほとんどない」。しかし、ドイツと日本の残虐行為を見る連合国の目は人種的に両者を差別していた。ドイツの残虐行為は「ナチスの犯罪」であり、ドイツ文化や国民性に根ざすものではなかった。これに対して、アジアの戦場における日本の残虐行為は「単に『日本人』の行為として伝えられていた」。
ジョン・ダワーは、大平洋戦争当時のアメリカの政府高官や軍指導部の発言、新聞・雑誌の論調、さらには映画、ポップカルチャー、時事マンガにいたる膨大な資料を渉猟し、そこに通底する「赤裸々な人種主義的本質」を摘出した。「日本人は人間ではない。残虐なサルだ。だから1匹残さず殺せ」という意識が、戦争遂行機関、マスメディア、戦場の兵士を貫いていたという。
たとえば、ルーズベルト大統領主席補佐官のウィリアム・レーヒにとって「日本はわれわれのカルタゴ」だった。彼はローマ帝国がカルタゴの消滅を戦争目的とした史実に、アメリカの対日戦争目的をなぞらえていたのである。「コリアーズ」誌は、レーヒの考えをもとに「日本を破壊すべし」という論説を掲載した。この表題はローマの大カトーが元老院で演説した「カルタゴを破壊すべし」からの転用だった。
アメリカの戦争目的が「野蛮なサルを絶滅させる」ことである以上、大平洋戦争が徹底殺戮の「容赦なき戦争」になったのも当然である。しかし、「世界の大部分を巻き込み、5000万人以上の人命を奪った前例のない破壊的戦争において、どうして一方の敵対者だけの野蛮性など語ることができようか」。残虐行為のジェネレーターはステレオタイプの人種観であると、ダワーは言うのである。(伊藤延司)
内容(「MARC」データベースより)
著者について

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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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日米戦争を「人種主義」の観点からとらえ、それが如何に両国の戦い方をエスカレートさせ「容赦なき戦争」にしていったかを抉り出す。このようなテーマを扱うには書き手も容赦ないスタンスが必要ということなのか、他のレビューでも言及されているように、内容的に気軽に読めるものではない。したがってそれなりの気構えが必要かもしれないが、文章自体は比較的平易で読みやすい。残念ながら原著に付いていた文献リストと註釈はカットされている。
本書の特徴として、政策としての人種主義の分析よりも、新聞、雑誌、漫画など当時の人々が目にしていたメディアの実際の様相を明らかにすることに重点が置かれている。図版による直接的なイメージと相まって、市民や兵士に対して人種主義がどのように「アピール」されていたのかをまざまざと感じることができる。当時、こうしたプロパガンダによる刷り込みが何のためになされたかと言えば、端的には戦争遂行のためであり、具体的には、より躊躇い無く敵を殺すことができるようにする「効果」のゆえ、ということになるだろう。つまり、人種主義は戦争の原因ではなく(この点は著者がはじめに述べている)より「効率的」に人々を動員する手段だったという、苦々しい現実が本書に刻まれている。
なお、普通に読めばわかることではあるが、著者の意図は日米いずれかの人種主義を糾弾したり、あるいは双方の人種主義を比較することでどちらがより邪悪であったかの裁定を下すことではない(ただし日米の人種主義の比較それ自体は本書の主要な論点ではある)。まして「どっちもどっち」的な処世訓を与えることが目的なのでもない。そうではなくて、おそらく現代の私達をも捕えている人種主義の抜き難い刻印を明らかにし、それがいつでも形を変えて現れ得ること、一度表に出て来るとそれを制御することは極めて難しいこと、にも関わらず逆説的であるが、かかる人種主義が時として和解のために作用することすらあり得ることを本書は示唆している。たぶん、私達は人種主義を克服できると安易に楽観するべきではなく、まず自分達の(個人はもとより、集団心理としても)心底にそのような魔物を飼っているかもしれないことを認め、それを消し去れないまでも、より上手く飼い馴らすことを考える必要があるのだろう。
本書は原著が1986年に出版され、翌年『人種偏見―太平洋戦争に見る日米摩擦の底流』として日本語版が出版された。すでに40年近く経過しており、個別の事実関係などについてはその後の研究によって修正されるべき点もありそうだが、本書のテーマ自体は今も(もしかすると人類が生存する限り永久に)色褪せていない。ちなみに平凡社ライブラリーからの再出版にあたり、もとの日本語タイトルについて著者からの強い反対があり、原題 WAR WITHOUT MERCY に近い『容赦なき戦争』が採用されたという。けだし妥当な判断と言えよう。
(こういう連合国軍側の話は、残虐行為として非難されていないだけに、本当だろうと思う。
このように抜き書きしたからと言って、日米離間を狙っているわけではない。戦争の実状を知る必要があると思っているため)
p128、仲間とはぐれた日本兵を放ち、その兵士が身の安全を求めて狂ったように駆け出すところを銃の標的として楽しんだ。
p130、ブーゲンビル島で、投稿しようとした日本の負傷兵たちを、オーストラリア司令官が射殺するように命じた。
p132、46年の従軍記者の以下の記事。
「われわれは捕虜を容赦なく撃ち殺し、病院を破壊し、救命ボートを機銃掃射し、敵の民間人を虐待、殺害し、
傷ついた敵兵を殺し、まだ息のある者を他の死体とともに穴に投げ入れ、死体を煮て頭蓋骨をとりわけ・・・」
p136、例えば日本の輸送船を沈め、その後1時間以上もかけて何百、何千という生き残り日本兵を銃で撃ち殺したアメリカの潜水艦長は、
この虐殺をその公式報告書に記録し、しかも上官たちから公の賛辞を与えられた。
p143、洞窟には、降伏しようとしたにもかかわらず「もどって最後まで戦え」と突き返された日本兵の死体が山と積まれていた。
p144、日本軍の入院患者は皆殺しにされ、オーストラリア兵は捕らえた日本兵たちを収容所に運ぶ途中、たびたび飛行機から放り投げ、それを腹切り自殺と報告した。
同、タラワ環礁で、捕らえられた数少ない日本兵を一列に並べ、英語で答えられる者だけを残し、あとはみな殺させた海軍士官。
このように日本兵は「生きて虜囚の辱めを受けず」という戦陣訓に従っただけではなく、現実に、投降は非常に困難な状況だった。
疑惑の人物、藤原彰氏の最後の著作『餓死した英霊たち』は、連合国軍のこうした日本人捕虜虐殺を、「隠蔽する目的」で作られたものではないだろうか。
さらなる疑問がわいてくる。
南京事件がどのようにマスメディアのプロパガンダに影響を与え、それがどのように世論に影響を与えたか。それがわからない本。
アメリカで南京事件のニュースは、最初はどのような形で世に出たのだろうか。
日本人残虐イメージをマスメディアがまき散らす前の、最初の確実な「情報とされた」ものは何なのか。
この本では、日本人残虐誹謗宣伝だけはわかるけれども、原因や理由が、ちらちらとしか出てこない。
はっきり書いてある日本兵の日記とやらは、贋作のように見える。
ともあれ、連合国軍の思考の背景には、このようなプロパガンダがあった、らしいことはわかる。
また日本のプロパガンダは、今となっては日本人の目にも珍しい。
煽る新聞や文壇や政府宣伝と、普通に生きている民間人は、極力一致させようとは思っていただろうけれど、
行動指針が、その理念まで同じだったとは思えない。
日本のプロパガンダで、戦後にできた贋作がありはしないか、それも要注意な気がする。
ジャップは卑怯卑劣である、ジャップはアリのように集団的行動を行う、ジャップは猿と人間の中間種だ・・・
プロパガンダとして描かれる日本人の姿は文字通り猿として描かれていた
こうして相手を非人間的な存在として貶めた果てに東京大空襲や原爆投下はあったのだろうし
単に日本人の血を引いてるというだけの日系アメリカ人を強制収容所に収容したのもこのためであった
相手に偏見に満ちたレッテルを貼り、一人の人間としてではなく理解不能なエイリアンとして扱うことの危険性を本書は警告しています
昨今、中韓に対するヘイトが満ちているがこうした偏見のゆくつく先は戦争しかないでしょう
戦争プロパガンダは言うに及ばず、欧米人の人種偏見の歴史的な根深さへの指摘は鋭い(たとえば267ページなど)
日本人に対する表現が辛らつであったりする、という指摘は恐らく正しい。
慰安婦などの問題については門外漢だから何とも言えないけど、これが出版された1986年、アメリカはもとより、日本ではどれほどの研究の蓄積があったのかなぁと思う。
印象としては、慰安婦がなかったという主張は結構最近だと思っていたから、当時ダワーが知らなくてもいいのかな、とも思った。別に弁護しようってわけじゃないけども。
アプローチの仕方は秀逸だと思う。
本書の中では、戦争犯罪という言葉は使われていないが、それを類推させる行為である。
では、現代的意義は?経済摩擦か?
歴史の本である以上、現在の状態を分析するものではならないが、本書ではそれがない。憎悪をあおることは本書の目的か?ならば、納得するが。「敗北を抱きしめて」がなかなかよい出来だっただけにがっかりだ。
It is a balanced, groundbreaking work by a major scholar that anyone interested in Japan-US relations should read.