賀沢秀人(Hideto Kazawa) さんが最初に共有した投稿少なくとも実用面から見た場合、ここ10年間で自然言語処理は飛躍的に進展している。そこには、自然言語を意味の宿った言葉というよりも単なる記号列としてドライに扱えばよい、という「発見」が大きかったように思う。
一方で、この発見は自然言語の研究者に一種の緊張状態を強いている。人間にとって「意味」は言語の本質である。それを無視するのは世界を単なる素粒子の集合体とみなすのに等しい。頭では理解できても常に「何かが欠けている」という思いを拭い去ることは難しいのだ。
この緊張は、一人の研究者の中に渦巻くこともあれば、研究者間の対立という形で集団的に表出する場合もある。言語使用は人間の本質に関わる能力であるため、その葛藤はときとしてとても激しいものになる。誰も自分が単なる機械であるとは思いたくないものだ。
だが、これこそがまさに科学者が挑むべき戦いだ。
科学の神髄は、複雑で先の見えない世界を、理解し予測するための道具を提供することにある。そして、その道具は誰にでも使いこなせて、かつ、誰が使っても同じ結果を導くものでなければならない。自然言語処理においてこのような道具を生み出すためには、意味にたいするドライな視線を持ち続けつつ、欠けている何かを掴み出す、という営みを続けていくしかない。
自然言語処理の飛躍的な進展もだんだんとスローダウンしてきているように感じる。それとともに欠けている何かを考える重要性もまた高まってくるだろう。子供の頃アインシュタインにあこがれて科学者を目指した私にとって、このような時代に自然言語処理の研究開発に携われるというのはとてもとても幸せなことだ。
というわけで、面白いことをしたかったら自然言語処理をやりましょう。:)