
無料のKindleアプリをダウンロードして、スマートフォン、タブレット、またはコンピューターで今すぐKindle本を読むことができます。Kindleデバイスは必要ありません。
ウェブ版Kindleなら、お使いのブラウザですぐにお読みいただけます。
携帯電話のカメラを使用する - 以下のコードをスキャンし、Kindleアプリをダウンロードしてください。
チェルノブイリの少年たち (新潮文庫 ひ 9-2) 文庫 – 1990/3/1
広瀬 隆
(著)
- 本の長さ218ページ
- 言語日本語
- 出版社新潮社
- 発売日1990/3/1
- ISBN-104101132321
- ISBN-13978-4101132327
この著者の人気タイトル
ページ 1 以下のうち 1 最初から観るページ 1 以下のうち 1
登録情報
- 出版社 : 新潮社 (1990/3/1)
- 発売日 : 1990/3/1
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 218ページ
- ISBN-10 : 4101132321
- ISBN-13 : 978-4101132327
- Amazon 売れ筋ランキング: - 906,836位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
著者について
著者をフォローして、新作のアップデートや改善されたおすすめを入手してください。

1943年東京生まれ。早稲田大学卒業後、大手メーカーの技術者を経て執筆活動に入る(「BOOK著者紹介情報」より:本データは『原子炉時限爆弾』(ISBN-10:4478013594)が刊行された当時に掲載されていたものです)
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2020年5月21日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
送料込みで200円だったので期待していませんでした。タバコの臭いや柔軟剤の臭いがしたら捨てようと思っていましたが、臭いもせず、表紙も中もとてもキレイでした。お安く販売して下さりありがとうございました。
2014年6月26日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
古い作品ですが、福島の今後と原発の再稼動について
考えさせられます。
考えさせられます。
2021年6月29日に日本でレビュー済み
1986年のチェルノブイリ原発事故と1989年のソ連崩壊とが強く結びついていたことを初めて知った。穀倉庫のウクライナが汚染され、ソ連の経済基盤が崩壊し、国が立ち行かなくなってしまった。
ソ連国民が放射線の危険性を教えられていなかったことも恐ろしいことだ。多数の近隣住民が、原子炉が爆発し炎上するのを見に行ったそうだ。
ソ連国民が放射線の危険性を教えられていなかったことも恐ろしいことだ。多数の近隣住民が、原子炉が爆発し炎上するのを見に行ったそうだ。
2011年8月23日に日本でレビュー済み
先年ソ連圏に行く機会があったので、事前学習のつもりで購入したが、準備の忙しさにかまけ読み損ねてしまっていた。
しかし、チェルノブイリで事故現場を見て、福島原発の事故を経たいま、改めて読む気力が湧いたので手にとることにした。
これは、チェルノブイリ原発事故を題材にした、ドキュメント・ノベルである。
軍部の人間は、安全を謳いながら、実情が露呈するのを恐れ、市民の事故現場からの逃亡さえ許さない。
被曝による身体的異常を認められながら、満足な治療も受けられず、幼子達が物のように扱われ死んでゆく。
若者達は何も知らされず、「死の灰」を浴び続けながら、メーデーの行進を続けている。
そのような、ウクライナに生きる「普通の人々」に起こった悲劇。
著者はそれを、圧倒的な洞察力と想像力をもって、丹念に描き出した。
この物語は、常に非情な現実を反映している。
一文一文が重く、読むほどに鈍重な気分にさせられる。
唯一救いがあるとすれば、主人公格の二人の子供たちの存在だろう。
重い急性症状を患った彼らは、家族から引き離され、病院で最期を迎えた。
自分の命が危ういにも拘らず、二人は最後まで遠く離れた親を、兄弟を思い、あまつさえ気遣った。そして、毅然とした態度で死に臨んだ。
極限状態でも絶望することなく、他者を思いやったのだ。(そのことが、読むものに一層深い惻隠の情を抱かせる要素にもなっているのだが)
自分が同じ立場にあったら、同じことができるだろうか。圧政にも屈することなく、人間らしい心を持ち続けることができるだろうか。思わずそんなことを考え、感傷に浸ってしまった。
しかし無情にも、放射能を含んだ煙が世界中を覆っていく、という不気味なラストで、物語は幕を閉じる。
一縷の希望さえ忘れさせるような情景描写。思わず、じっとりと汗ばんでしまうような、後味の悪い幕切れであった。
さて、人間は、当時と比べ少しでも賢くなったのだろうか?
日本政府が状況を見誤り、多くの人々の避難が遅れてしまったこと。
放射線量測定値が低く伝えられ、それと比較にならない程の値に、後になってから訂正されたこと。
市民が無根拠な噂に扇動され、買い占め問題が起こり、自粛ムードが蔓延したこと。
このような、福島原発事故の様子を思い返して、何かが変わったと言えるだろうか?
黒い雲は現在も、私達の上空で、そして心の中で広がり続けているのではないだろうか?
実は物語は、今も終わってはいないのではないだろうか?
私は、著者が巻末で語った「子供たち」にあたる世代である。かの災厄が起こった時、私はまだ生まれていなかったのだ。
その私が成人し、東日本大震災を経て、今生きている。
言えることの一つは、真実を知り、理解しようとすることの重要性だろう。
そして、人間らしい心を忘れずに、日々を丹念に生きていくことの尊さだろう。
チェルノブイリで亡くなった多くの子供達の命を、私は引き継いで生きている。
そして、福島で亡くなった人々の命も、また同様に引き継いでいる。
このことを反故にしないよう、命のバトンを持ち続けること。
それが、今の自分に出来ることであり、すべきことである。
そんなことを思い起こさせるような著作であった。
しかし、チェルノブイリで事故現場を見て、福島原発の事故を経たいま、改めて読む気力が湧いたので手にとることにした。
これは、チェルノブイリ原発事故を題材にした、ドキュメント・ノベルである。
軍部の人間は、安全を謳いながら、実情が露呈するのを恐れ、市民の事故現場からの逃亡さえ許さない。
被曝による身体的異常を認められながら、満足な治療も受けられず、幼子達が物のように扱われ死んでゆく。
若者達は何も知らされず、「死の灰」を浴び続けながら、メーデーの行進を続けている。
そのような、ウクライナに生きる「普通の人々」に起こった悲劇。
著者はそれを、圧倒的な洞察力と想像力をもって、丹念に描き出した。
この物語は、常に非情な現実を反映している。
一文一文が重く、読むほどに鈍重な気分にさせられる。
唯一救いがあるとすれば、主人公格の二人の子供たちの存在だろう。
重い急性症状を患った彼らは、家族から引き離され、病院で最期を迎えた。
自分の命が危ういにも拘らず、二人は最後まで遠く離れた親を、兄弟を思い、あまつさえ気遣った。そして、毅然とした態度で死に臨んだ。
極限状態でも絶望することなく、他者を思いやったのだ。(そのことが、読むものに一層深い惻隠の情を抱かせる要素にもなっているのだが)
自分が同じ立場にあったら、同じことができるだろうか。圧政にも屈することなく、人間らしい心を持ち続けることができるだろうか。思わずそんなことを考え、感傷に浸ってしまった。
しかし無情にも、放射能を含んだ煙が世界中を覆っていく、という不気味なラストで、物語は幕を閉じる。
一縷の希望さえ忘れさせるような情景描写。思わず、じっとりと汗ばんでしまうような、後味の悪い幕切れであった。
さて、人間は、当時と比べ少しでも賢くなったのだろうか?
日本政府が状況を見誤り、多くの人々の避難が遅れてしまったこと。
放射線量測定値が低く伝えられ、それと比較にならない程の値に、後になってから訂正されたこと。
市民が無根拠な噂に扇動され、買い占め問題が起こり、自粛ムードが蔓延したこと。
このような、福島原発事故の様子を思い返して、何かが変わったと言えるだろうか?
黒い雲は現在も、私達の上空で、そして心の中で広がり続けているのではないだろうか?
実は物語は、今も終わってはいないのではないだろうか?
私は、著者が巻末で語った「子供たち」にあたる世代である。かの災厄が起こった時、私はまだ生まれていなかったのだ。
その私が成人し、東日本大震災を経て、今生きている。
言えることの一つは、真実を知り、理解しようとすることの重要性だろう。
そして、人間らしい心を忘れずに、日々を丹念に生きていくことの尊さだろう。
チェルノブイリで亡くなった多くの子供達の命を、私は引き継いで生きている。
そして、福島で亡くなった人々の命も、また同様に引き継いでいる。
このことを反故にしないよう、命のバトンを持ち続けること。
それが、今の自分に出来ることであり、すべきことである。
そんなことを思い起こさせるような著作であった。
2003年12月20日に日本でレビュー済み
これほど原発、放射能の危険性を小説として描写した広瀬隆氏の表現力に脱帽するしかない、ひとたび日本でチェルノブイリ級の大惨事が起きれば日本は国家として滅び、日本民族もその民族の歴史に終止符を打つだろう、万が一その事態になったとき我々日本人は誰一人死の灰から逃げることは出来ない、本書の主人公イワンと家族のように、ひるがえって島国日本各地に点在する原子力発電所、平和利用、エネルギー不足の名のもとに原発は政治利用されてきたが、その言葉のトリックを見抜き、危機意識を持っている人が今の日本に何人いるか、この愚かな民族の国家が再生するには、チェルノブイリ事故のような破滅的大惨事によってしか望みはないかもしれない、しかし同時にそれは日本人が滅びる時でもある。